2017年7月18日火曜日

どっぷり御嶽山

今年もいつの間にか下半期。
振り返れば上半期はカンジキ履いてハードシェル着て雪山を歩き回っていたかと思えば後半はスーツ着て革靴履いて歩き回ったり環境と仕事が目まぐるしく変化していた。


下半期に入り一気にガイドモード。


昨年からシーズンインと同時に頭を丸刈りにして気合を入れてます。速乾性重視(笑)


そんな下半期、このところ週の半分以上を山や川の中で過ごすガイドな生活にどっぷりです。


とはいっても大半を滝めぐりガイドに費やしてるので少しづつ了見を広げていくために同じ御嶽でも少し違う場所にも足を伸ばし始めたわけで。


昨年よりお声掛けいただき、滝好きならだれでも(?)一度は見てみたい、そして僕もその姿に期待していた、かの川のかの滝。


今回は県境をまたぎその滝に出会うためだけの山行。ひさしぶりにどっぷり1泊2日御嶽の懐深く抱かれ滝の飛沫を感じながらの野営は至極。久しぶりに会心の野営と相成りました。サイコー♪


いやはや往復10km未満で1泊2日、実に贅沢な山行でしたわ。


ただ代償として(?)オープンフィンガーのグローブで藪漕ぎしたもんで指には無数のとげがお土産として埋め込んだまま持ち帰えるはめに(笑)


御嶽にはまだまだ知らない場所がいっぱいあるな~!人生は短い、御嶽は広すぎる!!!

2017年6月27日火曜日

故郷と呼べる場所へ

小坂の瀧に魅せられて30余年。生活の全てを捧げてはや5年。ときの流れとは早いものですね。


幸いにして生きています。そして活きてます!


ただ年を重ねるにつれ多忙は極みを重ね、殊更昨年は小坂の谷に(シャワクラ以外ほとんど)いけないという本末転倒な結果を生みました。


「これではいかん」と思い悩んでいた最中、常連さんから「曲滝の滝壺に立ちたい!」とか「王滝川の百間滝に行きたい!」とか「ツガ谷のF1に行きたい!」などなど小坂(周辺)の滝行へのリクエスト昨年来来多く頂きました。


「きっと谷に呼ばれているんだな」お客様の声は谷の声。「お前、最近顔出し取らんな。たまには帰ってこい」そう谷に呼ばれた気がしました。


おもい返せば山には行ってるけど小坂の谷に全然行けてなかったな~と振り返る。


ガイドのスキルアップのための遠征山行や講習受講などで頻繁に遠方の山域に赴く事はあれども地元を置き去りにしていたこの頃。


というわけですべての行事が落ち着く6.7月を「小坂の沢祭り」と勝手に位置づけ久しぶりにどっぷり浸かってきました!※これもひとえに常連さんの引き合いのおかげに他なりませんが(汗)


まずは久しぶりの椹谷。写真撮影を目的としたツアー。


撮影には1滝1時間なんてざら。この日は朝6時に出発して帰着は18時。実に12時間。


さらに別の日には久々の兵衛谷の”番人”曲滝へ。


日帰りかつ、そのものを目的とした遡行は初めての機会に恵まれこちらもじっくり様々な角度から観察。


これまた1滝になんと2時間半!まったくもって飽きないのが不思議!!思い思いに過ごしてもあっという間という印象。これが滝の魔力なのか・・・。


また新しい境地に入り込んだように感じています。


今までの自分はあくまで”遡行”が目的であり、その先のGOALに向けて進むことが重要。


たとえ美しい滝に出会ったとしてもそこに留まるという選択肢は無かったし、むしろ一刻も早く弱点を見出し越えなければという強迫観念すら感じているくらいだった。


だから正直こんなにも滝の前にいられるものかと思いました。


しかし実際に居ついて見るとどれだけでもいられるのです。不思議なくらい。


陽の動きで刻一刻と変わる滝の表情に見とれ、時間つぶしと思って持ってきた読みかけの本は結局開かれることなく一日終わりました。それほど釘付けにする光景が目の前にはありました。


僕にカメラを操る才能があればその感動の100分の1くらいは伝えられるのだろうけど残念ながら記念撮影くらいしか能が無いのでスミマセン。


とても言葉では言い表しがたい光景、その変化する景色を体験することが出来ました。有難し。


やはり先を急いでばかりでは決して気が付けないこの感覚。


自然の中に深く入り込み、一体となる感覚。人間の心拍は自然のリズムとは決して協調できないほど早いビートを刻んでいるけれど、時にはそれに歩み寄る、そんな気持ちも大事なのではないかな。そんなことに気が付かされました。


改めて小坂の瀧の魅力、もとい、魔力に憑りつかれたことを認識したそんな今日この頃でした。






通常のツアーでは立ち寄らない椹谷のチョックストン美瀑

見上げる空は漆黒×新緑のドラマチックな絵画の様。

曲滝の小滝を乗り越え立ち入ったその滝壺にはまさかの光景が!!そこに立った者にしか見えない絶景が待っている。



2017年5月25日木曜日

一歩前へ

一歩、その一歩を前に進めること。

僕は最近軽いステップで前進し続けていたことに気が付いた。

それはあまり考えず前身しているつもりでいたとも言い換えられる。

スポーツクライミングやボルダリングを体験したことがあるひとならきっとわかるだろうか。

一歩の足の置き方(つま先親指側で乗り込むのか包み込むように足裏全体で乗るのかなどなど)

ひとつで次の一手が大きく変わる体験を。

スポーツクライミングのようにその一歩で命を落とす(とはいわないまでも怪我する)危険が無い状況で踏み出すある種”大胆な一歩”

それに対して沢登でちょいちょい直面するガレ場のトラバースやスラブの通過などに代表される”命がけな一歩”では踏み出し方が異なる。

だって命懸けだもん。

結果としてその行動は”一歩前へ”進んだだけ。その一歩にどれだけ大きな意味や価値がその一歩を踏み出すまでにあったのだとしても結果は一歩踏み出しただけ。

大事なのは一歩踏み出したその後ですよね。

何故その一歩を出したか。考える前に一歩出ていることが多い。

そんな一歩先には”なりゆき”というせま~い足場しか続いていないことが多い。

その”なりゆき”をトレースして進むといつしか行き止まりになってたりする。

でもそんなときは巻道や別の選択肢があったりして意外とあっさりこなせたりもする。

でもある時俯瞰してみると”結局ぐるぐる同じところを回っていただけだよね”ってなる。

だいたいここで終わっているうちは大きなけがもしなければ大きな変化もない。

もんもんと過ぎていく日々はこうして繰り返される。

思い返してみると命がけの一歩って何度か経験があるな~。

一番印象的だったのが初めて行った濁河本谷の核心部、ゲート状2段5m滝のテラス。

前にも備忘録で書いたけど、ろくな装備も経験もないままWebの記録だけを参考につっこんだがんだて公園から始まる濁河本谷。

度重なる冷たい谷水での慣れない泳ぎ遡行。最終的に行き詰まったまさに窮地に追いやられたような場所で現れたゲートのような滝。

一瞬絶望した。深い谷の中なので既に日没。ガタガタ震えながら思考も停止気味。

追いやられた僕がとった選択肢は”前進”だった。

真下には奔流が駆け下りどす黒い底なしのような滝壺に吸い込まれている。

ここに落ちたらどうなるのか・・・。そんな滝をこえるには被った岩を抱きかかえるようにごく狭いスタンスにだましだまし乗り込む必要があった。

覚悟を決めて体重を殺しながら乗り込む!

その先はEasy!

そう。一歩を踏み出すまではいろんなことを思案する。

言ってみれば結果オーライ!命がけならそんな軽くないか!!

でも次に進める。その一歩を踏み出したことで。

単に谷を抜けるだけではなく、自分の意思でその谷を抜けきった。

その結果が重要。

人生にはそんな重要な一歩が何度かある気がする。

今僕が踏み出そうとしている一歩がきっとその一歩かもしれない。

とりあえず、こんな時はあれだな。うんそうしよう。

全部はいちゃえ~!

根尾の滝は下呂の滝!

2017年3月23日木曜日

自然との出会い・人との出会い

今冬シーズンはほんとーに忙しかった!そんな印象。

夏は夏でもちろんバッタバタなのは毎年のことやけど冬もこうなるか!

って感じな今冬シーズン

ガイドや検定、その合間に観光協会の仕事・・・。

どっぷりガイドや飛騨小坂の観光にのめり込んでいる。

しかも年々よりディープにはまり込んでいるような気がする。

さて、本題。

このところよく考えるテーマがある。

ガイドポリシー。

それはガイドを行ううえで僕たちガイドがどう考え立ち振る舞うのか。

いわば自分なりの”物差し”を持つこと。

自然案内、それは捉え方によっては自然を”食い物”にしている。

そんな表現もできる。確かにある面ではその通りかもしれない。

単に”食い物”にしているわけではない、とどう説明できるか否か・・・。

きっと自然での体験は人との出会いと同じで”一期一会”

だからその一瞬を大切にしたい。

一生に一度、そのタイミング(時)にしか出会えない瞬間。

二度と取り戻せないその一瞬。

だからこそ大事にしたいと思うし、丁寧に接したいと思う。

それを”尊重”とも言い換えることができるかな。横文字にすると”リスペクト”

その場にたまたま、そして何の因縁か集まった人と、出会う景色。

それは二度とない瞬間。

その貴さというか神秘というかもう二度と来ないその瞬間。

ガイドとしてこんな現場に何度も居合わせて共有できる幸せ。

こんなに幸せなことは無いのだと思う。

だからできるだけ自然にも人にもその瞬間が意味のある瞬間であってほしい。

その瞬間を”おぜん立て”するのがガイドの使命と思っています。

決して飾らず、でも壊さず。微妙なバランスを保ちつつ両者共存のバランス。

このバランス感覚こそガイドとして持ち合わせるべき感覚。

僕らはたまにインタープリターとも訳される。

単に解説者ではなく、通訳なのだと。

相手の意志や想いを汲み取り他者へそのメッセージを伝える。

自然には意志はないのかもしれない。でも彼らの営みそのものが意志のようなもの。

その”意志”を身近に感じられる僕たちが、

身近に感じられない、もしくは気づかない誰かに伝えることが使命なのだと思う。

そしてひととこに留まる僕らのもとには幸いに多くの色んな個性の方々に集まって頂ける。

川の中にたたずむ岩石のごとく、来ては去る人々の流れの中に身を置く。

そんな僕らはお客様より多くを頂く。生活の糧であり、情報であり、交友関係であり。

そんな幸せな仕事は他にないのではと錯覚もする。

巡り合い。自然も、人も。

今一度考えたい。僕が自然環境のためにできること、お客さんに対してできること。

そしてそのバランスを。

ただ振り返ってみるといつも僕は自然にもお客様にも頂いてばかりなのだと思う。

素敵な出会いばかり。

ちゃんと恩返しできているのだろうか。自然にもお客さんにも

まだまだ道半ば。自然とも人とも謙虚に付き合いたい

合掌。




全ての巡り合いに感謝!

2017年2月26日日曜日

どこまでもあおく

”あお”という言葉は様々な漢字で表現される。


青・蒼・藍・碧・靑・・・・。


その言葉は水や空などに代表される自然から人の感情までも表現する。


単に色彩そのものを表すのであればひとつの表現で良いと思う。


きっとその裏というか、深さというか、奥行きというか・・・三次元的な意味合いのあることばと思う。


こと自然界に置いてはきっとこの全ての”あおいろ”で表現し尽せない色彩にあふれている。


自然に抱かれ、その恩恵に生かされている今の自分。


そのポジションを見失ってはいけない。いや見失うはずもない。僕はそこで生きているから。


でも一般には自然と切り離された空間で生きざるを得ないのがマジョリティー。


マイノリティーは僕の方。いや、ある方面からはマジョリティー側か・・・、


まぁ、どちらでもいいけど。


僕は”あおいろ”をこよなく愛している。だからといって”あおいろ”で全身コーデしたりするわけではない。


氷の蒼だったり、花の藍だったり、空の碧だったり、反吐が出るような靑くささであったり・・・。


とにかく”あおいろ”は良い。


うん、好きだ。


Clear Abobe Visibility Unlimited(見上げる空限りなく何処までも)


Blue(あお)の先は漆黒の宇宙空間、Dark(暗黒)かもしれない。


けどそこに恐怖は無い。


”行けるとこまで行く”のではなく”行くと決めたところまで行く”それを愚直に繰り返すことで


まだ見ぬDarkの向こうにBlueが広がることを妄想する。


楽しいね、人生は。まだまだ”あおい”おれの生き様。


小坂の瀧と添い遂げる。そう決心したよ。改めて。


負けるかクソッタレ。”あお”さで勝負じゃ!











2016年12月23日金曜日

同じ方向


沢がひと段落して秋に少し息抜きできた。束の間の休息を経てここ2か月ほどダッシュで駆け抜けた気がする。この生き方を選んだ時点で本来”息抜き”なんてないはずやったけどそんな余裕があったのは”なまだまだ”な証拠かな。


ふえりかえればこの2016年、今までの激動に比べればわりと静穏だったのかもしれない。
仕事量は増え、休みは減ったもののなんだか安定していた。
きっと周囲も落ち着いてきたんだと思う。ネガティブにとらえれば”慣れ”かな。


思えば川の流れにも”激流”もあれば”瀞場(トロバ)”もある。緩急は必ずある。でも流れに翻弄されていればその向きは常にかわり続ける。どこを向いていたかさえ分からない激流にもまれ瀞場に辿りついたころには安ど感と、そのあとに押し寄せるどこへどう行けばわからない虚脱感。


あきらめて流されていてはいつかストレーナー(茶こしのように一度はまったら逃げられない水流の中のトラップ)にひっかかって溺れ死ぬのが関の山。生き残るためには流れを見極め泳ぎぬけなければならない。


ただがむしゃらに激流にもまれ必死で今を生きることも大事やけど荒波の隙間から垣間見える”その先”を常に見続け、今は目に見えていない”さらにその先”に思いを馳せ希望を持って信じて泳ぎ続けなければ”その先の先”は永遠にやってこない。



流されるのは、いいかえればあきらめる事。あきらめれば流されて呑みこまれるだけ。

やっぱり泳ぎ続けなければならない。でも常にその先の先を意識しながら泳ぎ続けたい。
一生懸命に泳いでいると周りは見えんけど気が付けば周りには自分と同じくもがきながらも前に進もうとしているあの人、その人、あなたが必死で泳いでる。


みんなきっと同じ方向に向かってるんだな。

いろんな泳ぎ方がある。でも向かってる方向はきっと同じ。


さぁ頑張ろう。来年も。新しい年の瀬も精一杯泳ぎぬけるぞ~!!



わが子の視線の先、僕の視線の先にはいつも小坂の瀧がある。

2016年10月18日火曜日

秋の山歩 ~南八ヶ岳編~

最近デスクワークな日々で気持ちは萎え、体もなまる一方。

そんな中での貴重なフリーな平日休み。そうだこんな日はあれだな・・・。”山歩”に出かけよう。

天気予報を見ているとどうやら10月中旬の割には気温も高めで3000m級でも雪の心配はなさそう。

てなわけで、今冬に行く予定の八ヶ岳・赤岳の偵察かねて行ってみよ~。








家から登山口の美濃戸までは3時間半。朝4時に起きてざっくり7時半には美濃戸を出発できる計算だ。

ただ、道間違えたり通勤ラッシュにはまったりで結局登山口の赤岳山荘に着いたのは9時ちょっと前。

でも天気も悪くないし最悪帰りはヘッデン下山でもいいやと割り切り歩き出す。

序盤からほぼ走るほどのハイペースで登るが、汗だくだく&息も切れ切れ。いや~運動不足がたたってます。

やっとの思いで行者小屋へ辿り着いた。時刻はまだ10時前。

「この分ならすべてのコースタイムは半分以下で行けるな~」と楽観視。

ただ硫黄岳まで縦走し赤岳鉱泉まで抜けるとしたら全行程で10時間以上必要。

高低差はあるものの距離的には15km弱やしなんとかなるっしょ。てなわけで再出発。



地蔵尾根の急登を経て赤岳の頂上に着いた時には11時。なんとか陽のあるうちに駐車場にはつけそうな時間。

ここからは稜線歩きだ。赤岳から硫黄岳までは岩場のアップダウンの繰り返し。ガスって眺望が効かない分、苦しいだけの修行的な縦走だ。

いつもそう。登りが苦手。足が上がらない。息もあがったまま戻らない。

いやもう登ること自体意味わからん。と、こころでブツブツ言いながらもムチ打って登り続ける。

もう登りは勘弁!というところで最後の硫黄岳の登りは緩やかながらしんどかった・・・。

休憩なしでノンストップ。乳酸たまりまくりの重い足。これでこそ良いトレーニング。といわんばかりに地味に追い込み続けた結果ヘロヘロ。

あとは赤岩の頭を経由し赤岳鉱泉までは下り道。いくら疲れていても下りは飛ばします。

ここはストックを出して駆け下りる。そろそろ膝がヤバイというところで赤岳鉱泉に到着した!

赤岳鉱泉の裏手ではアイスキャンディー(冬にはアイスクライミングに氷柱になる土台)の建設が進んでいた。

写真でみるよりずいぶん大規模。当たり前やけどすべて人力での作業。

みんな登山用のハーネス&ヘルメットてのがヤマヤらしくてうけた(笑)

後から知った事やけど皆さん山岳ガイドさんだったんですね。

赤岳鉱泉を後にして北沢をゆっくり下ることに。もう走れません・・・。勘弁してください、自分。

下山はいつも憂鬱。堰堤広場からは登山道も終わり林道歩きだ。でも期待をいい意味で裏切ってくれる光景が。

林道に入ってから周りの景色が一変。一面の苔と紅葉に癒される♪

疲れ果てたところに、このように癒され過ぎてはもう歩くのが嫌になりました。逆に。





今回は冬の山行の下見と称し急きょ南八ヶ岳へ。

当初は赤岳のみの偵察を考えていたものの、動き始めたら意外と行けそうだったので周遊しました。

お目当ての赤岳鉱泉のアイスキャンディーの骨組み建築も見えたし、八ヶ岳名物一面苔むした林にも癒されたな~。

ホームの御嶽と比較しやすい山だったので色々勉強になった山歩でした。

そして良いトレーニングになったわ。体バキバキ。これがたまらんのです。よし、また明日からがんばろう!

【行程】赤岳山荘(AM9時)-南沢経者小屋(AM10時)-地蔵尾根経由赤岳(AM11時)-赤岳~硫黄岳経由赤岳鉱泉(PM1時)-北沢経由赤岳山荘(PM2時20分) Total 5時間20分・15km