2016年12月23日金曜日

同じ方向


沢がひと段落して秋に少し息抜きできた。束の間の休息を経てここ2か月ほどダッシュで駆け抜けた気がする。この生き方を選んだ時点で本来”息抜き”なんてないはずやったけどそんな余裕があったのは”なまだまだ”な証拠かな。


ふえりかえればこの2016年、今までの激動に比べればわりと静穏だったのかもしれない。
仕事量は増え、休みは減ったもののなんだか安定していた。
きっと周囲も落ち着いてきたんだと思う。ネガティブにとらえれば”慣れ”かな。


思えば川の流れにも”激流”もあれば”瀞場(トロバ)”もある。緩急は必ずある。でも流れに翻弄されていればその向きは常にかわり続ける。どこを向いていたかさえ分からない激流にもまれ瀞場に辿りついたころには安ど感と、そのあとに押し寄せるどこへどう行けばわからない虚脱感。


あきらめて流されていてはいつかストレーナー(茶こしのように一度はまったら逃げられない水流の中のトラップ)にひっかかって溺れ死ぬのが関の山。生き残るためには流れを見極め泳ぎぬけなければならない。


ただがむしゃらに激流にもまれ必死で今を生きることも大事やけど荒波の隙間から垣間見える”その先”を常に見続け、今は目に見えていない”さらにその先”に思いを馳せ希望を持って信じて泳ぎ続けなければ”その先の先”は永遠にやってこない。



流されるのは、いいかえればあきらめる事。あきらめれば流されて呑みこまれるだけ。

やっぱり泳ぎ続けなければならない。でも常にその先の先を意識しながら泳ぎ続けたい。
一生懸命に泳いでいると周りは見えんけど気が付けば周りには自分と同じくもがきながらも前に進もうとしているあの人、その人、あなたが必死で泳いでる。


みんなきっと同じ方向に向かってるんだな。

いろんな泳ぎ方がある。でも向かってる方向はきっと同じ。


さぁ頑張ろう。来年も。新しい年の瀬も精一杯泳ぎぬけるぞ~!!



わが子の視線の先、僕の視線の先にはいつも小坂の瀧がある。

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